男性論

「ヤマザキマリ」と聞いてピンとこないビジネスパーソンの方もいることだろう。累計900万部を超える大人気漫画「テルマエ・ロマエ」の作家と言えば、分かる方も多いかもしれない。俳優の阿部寛と女優の上戸彩が主演で映画化もされており、こちらも大ヒットを記録した。原作の漫画を読んだことがない人でもCMや雑誌などで、その特徴的な内容を一度は見聞きしたことがあるのではないだろうか。

この作品の内容を簡単に紹介しよう。古代ローマから主役のルシウスが現代の日本(それも毎回必ず銭湯のお風呂)にワープしてきて、日本のお風呂のすばらしさに感銘を受ける(このシーンには毎回思わず笑いがこぼれてしまう)。ルシウスは再び古代ローマへと戻ると、日本で見た技術を大いに参考にしながら次々とローマの街、宮殿に画期的なお風呂を創り上げていくのだ。

ヤマザキ氏は日本のお風呂をこよなく愛するだけでなく、日本の「古代ローマ的」な感性に深く傾倒している。そして「古代ローマ的」感性を持つ男性に深く魅力を感じているようだ。本書はヤマザキ氏の独断と偏見で理想的な男性像が語られている。そう聞いた私は「女性の書く恋愛本に違いない!」と思いながら本書を読んでみたのだが、実は「歴史的人物に学ぶリーダーシップの教本」というのが本質であった。

古代ローマで活躍したハドリアヌス帝にはじまり、現代のスティーブ・ジョブズまで「古代ローマ的」な魅力を持つ男性の性質について、ヤマザキ氏の独特な感性を軸に語られた本である。私たちも彼ら歴史的偉人に男としてのリーダーシップの在り方を学ぼうではないか。

本書の要点

 
 
  • 要点
    1
     「古代ローマ的」男性は、大きな「寛容性」を持っている。自分の知らないことを素直に受け入れ、それを自分の糧としながら新しいものを次々と生み出していくのだ。
  • 要点
    2
     「古代ローマ的」男性は、「ボーダーを越える」力を持っている。文化や宗教の壁を越え、本来であれば敵である者までも味方にしてしまう力を持っている。
  • 要点
    3
     「古代ローマ的」男性には「変人」が多く存在する。スティーブ・ジョブズは古代ローマ的=ルネサンス的な感性を持つ現代の代表的な人物である。

要約

 
 

ヤマザキマリ、漫画的日常

古代ローマ的家族と結婚
alessandro0770/iStock/Thinkstock

本書は冒頭に記したとおり、ヤマザキマリ氏が古代ローマ的な魅力を持つ古今東西の男たちについて、独断と偏愛丸出しで語るというものだ。本論に入る前に、第一章ではヤマザキ氏がどのような家庭で育ち、いまどのような家庭を築いているかが紹介されている。

ヤマザキ氏は自らを半分外国人、半分日本人だと称している。幼いうちに亡くなった父は母と同じく音楽家。唯一勤め人であった祖父は銀行の海外支店で働いており、日本人的アイデンティティは薄かったそうだ。父が亡くなってからは、母の仕事で世界各地を飛び回っていた。幼少期から海外の空気の中で育っていったのだという。

現在、ヤマザキ氏は14歳年下のイタリア人の夫と息子と北イタリアで暮らしている。夫ベッピーノは比較文学の研究者で、最近まではシカゴ大学で教鞭をとっていた。ヤマザキ氏が結婚したのは2002年の話。ヤマザキ氏には、イタリア人で詩人の前夫との間で授かった、デルスという息子がいた。

再婚してからというもの、働き方や家族との過ごし方の違いなど、異文化ならではの難しい経験もしたという。しかし、ベッピーノの行動は家族のことを最優先に考え、物事に柔軟に対応する「古代ローマ的」な性質ゆえのものであり、そこに惹かれるのだ。

ヤマザキ氏を魅了する「古代ローマ的」男性とは一体どのような性質を持っているのだろう? 次章を見ていきたい。

男性論Ⅰ 「古代ローマ」な男たち

芸術家の顔を持つ政治家、ハドリアヌス

まず本書の初めに紹介される男性は、130年代に活躍したハドリアヌス帝である。

ハドリアヌス帝は他の皇帝とは少し毛色の異なる、複雑で多元性のある人物であった。喩えるならば、友達としてはいてほしいけれど、家族にしたら苦労しそうなマイペースの天才。ひとに仕事を任せるよりも、すべてを自分でやらないと気がすまない、探究心と自尊心が一緒になったタイプである。文化面でも多くの功績を残した彼は、「戦争よりも文化と芸術を愛する」皇帝として名を残した。ちなみにハドリアヌス帝は今なおローマに残るパンテオンの設計者でもある。

前皇帝トライアヌス帝が現在のハンガリーからルーマニアあたりまでを征服したのを受け、ハドリアヌス帝は「広げたのはいいのだけれども、これからローマをどうするべきか?」と考え、それまでの領土拡大路線から方向転換をはかった平和主義者として知られる。

ハドリアヌス帝の21年の治世のうち、視察旅行に費やした月日は実に13年。やみくもに戦うかわりに別部族の有力者たちと話し合っては、ローマ市民権を与えたり、和解調停案を提示したりと、発展よりも保守保全を重視していく。ハドリアヌス帝は「寛容性」を目指していたのだ。ギリシャをはじめ、各国の文化に傾倒し積極的にローマに取り入れた姿勢も「寛容性」のあらわれであろう。

ルシウスに見る古代ローマの寛容性
Igor Zakowski/iStock/Thinkstock

ヤマザキ氏が考える、古代ローマの美点とは「寛容性」である。この「寛容性」というキーワードに基づくと、『テルマエ・ロマエ』がいかに「古代ローマ的」思考によってできあがった作品であるかが理解できるのではないだろうか。異なる民族の文化・文明を、自分たちのものとして取り入れる能力に長けているローマ人の特性を、ルシウスという男に重ね合わせているのだ。

著者がテルマエ・ロマエで描いたように、ローマ人がもし日本にワープしてきたなら、風呂桶でも、フルーツ牛乳でも、シャンプーハットでも、その奇抜なアイデアを研究し、謙虚に礼賛し、でもよりグレードアップさせて起業家に売り込んでは、また独自に発展させていったに違いない。

こうした感性は日本人にも少なからず存在する。蒸気機関車をもとに新幹線を作ってみたり、和式便器に椅子タイプの便座を導入しウォシュレットを発明したりとその例は枚挙にいとまがない。そうするとやはり、ルシウスは真に「古代ローマ的」でありながらも同時に「日本的」なのかもしれない。

【必読ポイント!】 男性論Ⅱ ルネサンスを起こす男たち

ルネサンスを先取りした超人、フェデリーコ2世
Photos.com/Photos.com/Thinkstock

ここからは時代を飛んでルネサンス時代の男たちについてみていきたい。

テルマエ・ロマエの時代から1000年後、ローマは数々の混乱や崩壊を経て、ヨーロッパ全土がキリスト教に席巻されることになる。こうして古代ローマ的な寛容性がすっかり取り払われた世代において時代の寵児とも言える人物が誕生した。古代ローマ的精神性とバイタリティを全身全霊で受け継ぎ、再び勃興させようとしていたのが、神聖ローマ帝国のフェデリーコ(ドイツ語ではフリードリッヒ)2世という人物だ。

フェデリーコは当時、多様性の極みともいえる国際都市パレルモで、選りすぐりの聖職者たちによって最高峰の教育を施された。彼は早熟の天才で、その知識欲と知的バイタリティに教師も面を食らうほどだったという。歴史、哲学、天文学、神学、数学、植物学とありとあらゆる学問に興味を示しては吸収していったのだ。

だからといって、フェデリーコは貧弱なもやしっ子ではなく、外へ出ては野山を駆け巡り、教師の監視を逃れてはパレルモの街に飛び出していった。そうして、人種と文化のるつぼであった国際都市から様々なことを学んだのだ。エネルギーに満ち溢れる都市で、彼はアラビア語やギリシャ語など9か国語を習得し、ほかにも乗馬や槍術、そして鷹を使ったハンティングなどの腕も並大抵のものではなかった。

フェデリーコにしてみれば、もう国籍も文化の違いもあったものではない。むしろお互い違いを貴重な触発の資質として、既成のボーダーを取り払っていけると考えていた。差異を超え、人間としての信頼性でつながることで、理想的な人間社会がもたらされると彼は考えていたのだ。

文化や人種など拒絶しない鋭敏な外交術で、本来は敵である封建領主や自治都市をも味方につけていくフェデリーコ。当然、この魅力に支持者も多く増え、さまざまな自治国家がこの若き皇帝の味方となっていく。9か国語を流暢に操り、他文化に対する偏見も持たず、対等な姿勢を崩さず、知的教養とバイタリティにあふれるリーダーがいたら、現代の私たちでも惹かれないわけにはいかないだろう。

フェデリーコは他の宗教にも寛容な態度を見せたことから教皇から破門されてしまうが、その後エルサレムへ遠征。ここでキリスト教とイスラム教、どちらの宗教観にも無理のない平和条約を締結させる。フェデリーコは敵視されていた指導者すら親友にしてしまったのだ。最終的にはフェデリーコは破門を解除され、法治国家を作り上げていく。そして、芸術分野へも大きな影響を与えていったのだ。

このように男性論Ⅱでは、男性論Ⅰの「寛容性」に続き、古代ローマの「ボーダーを超える」という考え方について述べられた章であると言えるだろう。本章ではフェデリーコのほかにも、ルネサンス当時の超売れっ子画家、ラファエロについても書かれている。ラファエロがどんな人物であったか、絵は知っているけれども性格を知っている人は多くないだろう。是非そちらも本書でご参照いただきたい。

男性論Ⅲ 変人論

アメリカに吹くルネサンスの風、スティーブ・ジョブズ
Justin Sullivan/Getty Images News/Thinkstock

現代におけるルネサンス的状況はどういうかたちでありうるのか、と問い続けたヤマザキ氏の頭にはひとつの答えがわいてきたようだ。それが、スティーブ・ジョブズである。

ヤマザキ氏は現在、「スティーブ・ジョブズ」という漫画作品を作っている。この仕事の依頼を受けた当初は、スティーブ・ジョブズという人物にいまひとつ興味が持てなかったため、気乗りがしなかったそうだ。ところが、アップル製品を愛する息子から、「これ、やらない手はないよ」と勧められるがままに、ジョブズの伝記を読んだところ、その「変人ぶり」に魅了されてしまった。

圧倒的で、排他的、唯我独尊、金もうけ主義。こうした先入観は、だんだんと彼の人間味によって相対化された。自分のやり方に従わない奴は容赦なく排除する彼の振る舞いに去って行った部下の気持ちもよく分かる。しかし、天才肌で人知れず努力もした。そんな多元的な性格を持つジョブズの姿にヤマザキ氏は古代ローマ=ルネサンス的なものを感じずにはいられなかったのだ。

ジョブズと言えば、テクノロジーの権威のように思われるが、彼の言葉の中に「禅」が頻出することからもわかるように、若い日にインドを放浪して瞑想にハマったり、LSD(サイケデリックドラッグ)やボブ・ディランをはじめ、ヒッピーカルチャーにも傾倒したりと、常に「人文系」と「テクノロジー」のふたつの項を行き来していた。

また彼は人間的な感覚、とりわけ直感を大切にして発想の原点にできたひとである。誰も見たことがないものを、ふっと思いつく発想力。そしてそれを具現化する技術力。アートとテクノロジーを架橋していく力と欲望がジョブズにはあったのだ。

たとえば、ボブ・ディランのテープを片時も手放さなかったことが、iPodの誕生につながった。ドロップアウトした大学でカリグラフィーに夢中になり、それがマックの多種多様なフォント搭載につながった。タッチパネルの発明が、全世界の人間生活の利便性を高めていった。また、「禅」的なものへの傾倒から、それがプロダクトデザインにおいて、ぎりぎりまで余分なものをそぎ落とすシンプル&ミニマリズムの方向性にもつながっていった。すべては人生を楽しむ「いたずら心」が根底にあるとヤマザキ氏は考えている。そして「空気の読めなさ」「変人ぶり」が、ふつうの発想をぶっちぎれる独創性の礎になっているのだ。

確かにジョブズは、すごくイヤな奴と化して、人間関係に軋轢を生みまくった時期もある。しかし、それはきっといますべきことの判断の結果、敢えてヒール役を選択したこともあったはずである。天性の頭の良さと、感覚の鋭さ、後天的に習得したもろもろの技術と、ラファエロのように謙虚なタイプではないため恋には落ちないし、上司ならうんざりかもしれないけれども、ジョブズは人間としての魅力に満ち溢れている。

やはり「変人」というのは面白い。ルネサンスに「変人」はつきものではないか。ジョブズを生んだのが、競争にシビアでありながら、野心ある人に対して懐深く、多様な人材を受け入れる土壌を持つアメリカであることもまた、偶然ではないだろう。空気を読むことや、変人過ぎないことを常に求められる現在の日本において、ルネサンスの風は吹きにくいのかもしれない、とヤマザキ氏は語っている。

一読のすすめ

 
 

本書は全6章構成であり、ハイライトでは第4章までの中身についてご紹介させていただいた。といっても、本書ではハドリアヌス帝やスティーブ・ジョブズ以外にも、ラファエロや安部公房など多くの男性が具体的な例として取り上げられている。

また、第5章では「女性論 成熟したいい女とは」、第6章では本書の総論である「ボーダーを超える!」が語られている。「日本にはなぜ子どもっぽい女性が多いのか」、という鋭い指摘には、日本の男性観・女性観にちょっとした危機感すら感じるほどだ。是非本書をご覧いただき、男、女を磨いていただきたい。

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